我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

武術・武道と学問 -その1

皆さん、学問は好きですか?こう聞くと「いやぁ~学問なんてガラじゃないし」「お勉強は、ちょっとねぇ」という答えが返ってくることが、多い。

学問=お勉強、という図式が何となくでき上がっているかのようだ。で、この図式、正しいのだろうか?どう思います?学問とは、お勉強のことですかね?

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少し前に中国語のできる方から「勉強」の意味を聞いたら、どうやらいやいや行うというニュアンスを含む言葉であるそうだ。

ためしにWeblioで引いてみると中国語で勉強とは「(一定のことをするのに)不承不承である,気乗りがしない,しぶしぶである」という意味をもつ単語。まさに上述の「お勉強」のことではないですか。

で、学問とはどうかといえば、Wikipedia によれば「学問(がくもん)とは、一定の理論に基づいて体系化された知識と方法であり、哲学や歴史学、心理学や言語学などの人文科学、政治学法律学などの社会科学、物理学や化学などの自然科学などの総称」だそうである。

一般論としてはまぁ、それでいいのかもしれません。もう少し掘り下げると、はじめから「一定の理論に基づいて体系化された」のではなく、(それぞれの学問が取り組む)対象に深く分け入って考察してその構造を解き明かしていく過程で、法則性が見いだされて理論として抽象化された、というのが正しいのではないか、と思います。理論が先にあったのでは、ない。

もちろん、現代を生きる我々は先達が解明した知識と方法を土台にして考察しているわけですが、大切なことは対象を観察・研究して知識を得るだけではなく、原理・原則、法則性、構造を究明していくことです。つまり、本質・真理を究明することが学問なのであって、ある分野をよく知っているというだけでは、物知りかせいぜいよく言って研究者。学者ではない。

さて、真理の探究ということになるとこれは面白いと思うのです。食べ物や異性の好みみたいな、いわば個人の思い込みレベルのものではない。真理とは物事の仕組みに基づくものなので、同じ対象であれば応用が利くわけです。

例えば自動車の仕組みを知り尽くした人であれば、初めて遭遇する故障やトラブルでも、それをリカバリーするための方法を、独力で見つけ出すことが出来る可能性がある。それは仕組みがわかっているため、何が問題なのか?を事象の根本にさかのぼって考えることができるからです。

一方で試験勉強とはどういうものか。試験において点数をとるための勉強が試験勉強です。何を当たり前のことを言っているんだ?と思われるでしょう。どういうことなのかと言えば、出題範囲が決まっている試験というものにおいてよい点数をとるための勉強が、試験勉強。

この「出題範囲が決まっている」というところが、キーです。出題範囲が決まっているからこそ、その範囲であらかじめ勉強しておけば100点満点が可能です。

よく「学校で学んだことなんか社会に出て何の役にも立たなかった」という方がいらっしゃいますが、それはそうです。試験のための勉強ばっかりしているんだから。現実の世の中を渡っていくために求められるのは、試験に出るものを暗記して満点とることではなく、「何が問題なのか?」を見極めて、それに対して手を打てること。あるいは、問題になる前にその可能性を洗い出してリスクを抑え込むことです。

これって、競技試合と武術・武道のちがいに似ていませんか? (つづく)

 

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